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昭和24年6月29日 |
「吉浜村漁業協同組合」誕生 |
昭和26年 |
国の補助金導入により、組合の再建整備計画が樹立 |
昭和28年 |
岩手県信漁連が発足。「中小漁業保証法法」制定により県漁業信用基金協会が同時に設立され、当組合も傘下に参入。 |
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昭和30年〜 |
昭和30年代に入り「第一次漁港整備計画」により本格的な漁港整備が始まる。完成漁港になるのは昭和47年。 |
昭和30年〜32年 |
昭和30年5月出資の増加を図り、昭和32年県下に先がけて共販代金の全額貯金振替制度を実施 |
昭和34年〜36年 |
新農山漁村振興特別対策助成事業により、本郷、根白、千歳の3カ所に水産倉庫の建設。 |
昭和35年5月24日 |
太平洋沿岸をチリ地震津波が襲う。岩手県の被害は激甚で、全国被害のうちでも最大となる。 |
昭和38年〜 |
昭和38年度に養殖わかめの試験区を設定。わかめ養殖技術の本格的な取り組みがなされる。 |
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昭和40年〜 |
昭和40年に入り第一次沿岸漁業構造改善事業を導入して養殖漁場の整備をおこない、生産拡大が行われる。 |
昭和43年5月16日 |
北海道及び東北太平洋沿岸一帯を十勝沖地震津波が襲う。沿岸14市町村全域に大きな被害をもたらした。 |
昭和45年〜 |
わかめ養殖を垂下式から水平式に転換を図ったことによる品質向上で価格の上昇と相俟って、水揚高が前年対比で5倍に。さらに「吉浜鮑」の価格上昇から、組合事業全般に著しい進展をみる。 |
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昭和50年 |
漁協卸売市場の機能を持つ根白事務所を建設。
旧吉浜地区公民館跡地に本所事務所を建設。
ふ化能力1,000千粒のふ化場を建設。 |
昭和59年6月 |
昭和59年6月で創立35周年を迎えるにあたり、創立35周年記念式典を開催 |
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昭和60年〜 |
組合員期間の功労に対して、組合退給付金を支給する「組合員共済会」の創設を図る。 |
昭和62年 |
漁港整備の促進計画として根白漁港の大幅な改修、改良の要望が強く叫ばれ、昭和62年第8次漁港整備長期計画に修築漁港として採用される。 |
昭和62年 |
会員の健康と文化のの向上を図り、豊かな生きがいのある人生づくりによる、明るい漁村づくりを目的として「漁協年金友の会」を結成 |
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平成元年〜 |
あわびを始めとする磯資源の増大と適正な漁場管理により生産拡大を図ることを目的に、釜の崎地先に県営事業として大規模な漁場造成を進める。 |
平成5年12月11日 |
参画者305名により、組合長を設立発起人として「吉浜定置漁業組合」を設立 |
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平成6年〜 |
吉浜湾内に沿岸漁場整備開発事業によって、ひらめ稚魚の保護育成場を造成。 |
平成6年〜 |
若者30名の参画により「漁協青年部」が設立される。 |
平成9年〜 |
「乾鮑製法伝承事業」を導入して、先代が築いた「キッピンあわび」のブランドを生かした乾鮑を復活させるべく取り組みを行う。 |